
お仏壇(箱)は不要だが、ご本尊は必要です
「お仏壇は本当に必要?」「マンションに置く場所がない…」そんな悩みはありませんか?僧侶が、立派な箱より大切な「ご本尊」の本当の意味をやさしく解説。この記事を読めば、お仏壇への考え方が変わり、感謝の心が深まります。
「お仏壇って、やっぱり買わないといけないのかな…?」
「マンション暮らしで、お仏壇を置くスペースなんてない…」
ご家族との別れを経験された後、そんなふうに、お仏壇のことで悩んでいませんか?
そうですよね。
昔ながらの大きくて立派なお仏壇を、現代の住環境に置くのはなかなか難しいことかもしれません。
費用も気になりますし、「そもそも、本当に必要なんだろうか?」と感じてしまうお気持ちも、とてもよくわかります。
この記事では、そんなあなたの悩みに寄り添いながら、お仏壇の「本当に大切なこと」について、一つひとつ丁寧にお話ししていきます。
今日のテーマは、「お仏壇の中心にいらっしゃるご本尊」についてです。
「ご本尊って、なんだか難しそう…」と感じている方も、大丈夫。
この記事を読み終えるころには、お仏壇に対する考え方がガラリと変わり、もっと気軽に、そしてもっと深く、手を合わせる時間の意味が、きっと理解できるはずです。
それでは、はじめていきましょう🎵
*この記事は以下のポッドキャストの文字起こしを元に作成しています。
目次
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✅ 結論:立派な「お仏壇(箱)」は、無理に購入する必要はありません
いきなり結論からお話ししますね。
いわゆる「お仏壇」と聞いてイメージする、あの立派な「箱」そのものは、無理をしてまで購入する必要は全くありません。
「え、そうなんですか!?」と驚かれたかもしれませんね。
はい。もちろん、ご立派なお仏壇があれば、それはとても素晴らしいことです。
でも、もっと大切なのは、その「箱」の中身なんです。
私たちの暮らしは、ここ数十年で大きく変化しました。
かつてのように、代々受け継いだ広いお家に住むのではなく、都心部のマンションなどで、限られたスペースで暮らす方がとても増えています。
そんな中で、「仏間があって、立派なお仏壇がある」という生活を維持するのは、非常に難しくなってきていますよね。
だからこそ、一番大事なことをお伝えしたいのです。
本当に大切なのは「箱」の立派さではなく、その中心にお迎えする「ご本尊(ごほんぞん)」様なのです。
「ご本尊」とは、私たちの信仰の中心となる仏様のこと。
いわば、お仏壇の「心臓部」とも言える、最も大切な存在です。
外側の「箱」は、どんなものでも構いません。
極端なことを言えば、なくてもいいんです。
しかし、この「ご本尊」だけは、ぜひご家庭にお迎えしていただきたい。
それが、私たち僧侶としての切なる願いでもあります。
陥りがちな「ネット通販」の落とし穴?
「とはいえ、最近はインターネット通販でも、手頃なお仏壇が売られていますよね?」
そう思われる方もいらっしゃるでしょう。
確かに、オンラインで手軽に、そして安価にお仏壇を購入できる時代になりました。
でも、ここに一つ、注意していただきたい点があるんです。
実は、通販で販売されているお仏壇セットの中には、肝心な「ご本尊」について、あまり詳しく書かれていないケースが少なくないんですね。
お仏壇の「箱」本体と、花瓶やロウソク立てといった「仏具」がセットになっているだけで、一番大切なご本尊様が含まれていない、ということがよくあるのです。
過去に、お仏壇をお迎えした際に行う「入仏式(にゅうぶつしき)」という法要にお伺いした時のこと。
何件かのお宅で、真新しいお仏壇だけが置かれていて、その中心にあるべきご本尊がいらっしゃらない、ということがありました。
おうちの方にお話を伺うと、「お仏壇の中には、亡くなった家族の写真やお位牌を置くものだと思っていました」とおっしゃるのです。
そのお気持ちもよくわかります。
でも、それでは入仏式をお勤めすることはできません。
その日は、「どんなに小さなものでも構いませんので、まずはご本尊をお迎えしてくださいね」とお伝えして、お経をあげずに帰らせていただいたことが、一度や二度ではありませんでした。
お仏壇というと、どうしても外側の「箱」に意識が向きがちですが、その中心に魂を入れる「ご本尊」様がいてくださって、はじめて手を合わせる場所が整うのです。
なぜ「ご本尊」が、それほどまでに大切なのでしょうか? 🧠
「そもそも、どうしてそんなにご本尊様が大切なんですか?」
それは、ご本尊が、私たちの「心の拠り所」となってくださる存在だからです。
宗派によってお迎えするご本尊様は異なりますが、私たち浄土真宗では、阿弥陀如来(あみだにょらい)という仏さまをご本尊としてお迎えします。
阿弥陀さまとは、一体どのようなお方なのでしょうか?
一言でいうと、「あなたを必ず救う」という、無条件の慈悲の心を形にされた仏さまです。
いわば、「どんなことがあっても、決してあなたを見捨てない。常にあなたのことを見守っているよ」と、温かく語りかけてくださる、絶対的な安心感の象徴のような存在です。
私たち人間は、決して強い生き物ではありませんよね。
時に弱さに打ちひしがれ、煩悩にまみれてしまう、不完全な存在です。
しかし阿弥陀如来様は、そんな私たちのありのままの姿を、すべて受け入れ、決して見捨てることなく、いつでも、どこでも、優しく見守ってくださっているのです。
この阿弥陀さまの姿を、私たちの日常生活の中にお迎えし、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と手を合わせること。それが、私たちにとって、とても大切な意味を持ってくるのです。
手を合わせる相手は、「故人」ではなく「ご本尊」🙏
ここで、もう一つ、とても大切なポイントをお話しさせてください。
「お仏壇に手を合わせる時って、亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんの写真に向かって、語りかけるイメージがありますよね?」
きっと、多くの方がそのように感じていらっしゃるのではないでしょうか。故人を偲び、感謝を伝える。それは、とても尊いことです。
しかし、私たち浄土真宗の考え方では、手を合わせる「向き」が少し違うんですよ。
私たちは、故人のお写真やお位牌に手を合わせるのではありません。その奥にいらっしゃるご本尊、すなわち阿弥さまに向かって手を合わせるのです。
「え、それじゃあ、亡くなった家族のことをないがしろにしているみたいで、なんだか寂しい気がします…」
そう感じますよね。
でも、決してそういうわけではないので、ご安心ください。
むしろ、その逆なんです。
浄土真宗では、先に旅立たれた大切な方々は、すでに阿弥陀さまの慈悲の光に包まれ、「お浄土」という安らかな世界に仏様として生まれていらっしゃる、と考えるのです。
ですから、私たちは、先にお浄土へ往かれた故人と同じ方向を向いて、同じ阿弥陀さまに向かって「私も、いつかそちらの世界に参ります。
「阿弥陀さまを頼りとして生きていきます」という気持ちで、一緒に手を合わせるのです。
亡き人を拝むのではなく、亡き人と一緒に、同じ仏さまを拝む。
このことを知るだけで、手を合わせる時間の意味が、より深く、温かいものに感じられるのではないでしょうか。
1日の終わりに、ご本尊の前に静かに座ってみる。
もし今日、何か良いことがあったなら、「阿弥陀さま、ご先祖さま、今日はこんないいことがありました。ありがとうございます」と報告する。
その時、良い結果が生まれた原因を、自分の努力や能力だけのおかげだと考えるのではなく、「目には見えないけれど、いつも自分を見守り、支えてくださっている大きな存在のおかげなんだな」と感じることができる。
この「おかげさまで」という感謝の心に気づかせてくれる場所。
それが、ご本尊がいらっしゃるお仏壇の役割なのかもしれませんね。
阿弥陀さまからの最高のプレゼント「南無阿弥陀仏」
阿弥陀さまは、私たちに「南無阿弥陀仏」という、お念仏をくださいました。
この「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀さまからの「あなたを必ず救いますよ」という、力強い約束の言葉そのものなのです。
私たちは、自分の力で修行を積んで悟りを開こうとする「自力(じりき)」ではなく、阿弥陀さまの「必ず救う」という大きな力(はたらき)に、すべてをおまかせする「他力(たりき)」という教えを大切にしています。
それは、いわば「自分で必死に海を泳いで渡ろうとするのではなく、阿弥陀さまが用意してくださった、お浄土行きの大きな船に、安心して乗せていただく」ような感覚です。
ですから、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えるということは、阿弥陀さまの慈悲の心を、この私が直接いただく、ということと繋がっているのです。
たとえ立派なお仏壇やご本尊様があったとしても、そこに手を合わせ、お念仏を称える私たちの姿がなければ、少し寂しいのかもしれません。
1日に1回でも大丈夫。
ご本尊に向かって、静かに「南無阿弥陀仏」と称えてみてください。
その声は、必ず阿弥陀さまと、そしてお浄土にいらっしゃる大切な方々にも届いているはずです。
もっと自由に考えていい、ご本尊様との暮らし 🏠
ここまで読んでくださったあなたは、もうお仏壇の「箱」の大きさや価格に、心を悩ませる必要がないことがお分かりいただけたかと思います。
「でも、うちは本当にスペースがなくて…」
大丈夫です。
ご本尊は、掛け軸になっているものが多くあります。
小さな棚の上に置けるスタンド型のものもありますし、もっと言えば、掛け軸を壁に貼る、ということでもいいんです。
大切なのは、「我が家に、ご本尊がいらっしゃる」という事実。
そして、そのご本尊の前で、感謝の気持ちを込めて手を合わせる時間を持つことです。
このご本尊を、今、私がお迎えできるのは、誰のおかげでしょうか?
そう考えていくと、やはり、自分に命を繋いでくださった、近しい家族やご先祖さまのおかげである、ということに繋がっていきますよね。
ご本尊は、その感謝の気持ちを育む象徴でもあるのです。
そして、もしあなたにお子さんがいらっしゃるなら、ぜひ、あなたが手を合わせる姿を見せてあげてください。
「お父さん、お母さんは、毎日こうして手を合わせているんだな」
その光景は、きっとお子さんの心に、温かい記憶として残り続けます。
子どもというのは、親の言葉よりも、その背中を見て育つものですから。
家を出る時、あるいは眠る前。ほんの短い時間で構いません。
「一緒に手を合わせようか」と、お子さんと一緒にご本尊の前に座ってみる。。
そんな時間を、ぜひあなたの生活の一部に取り入れてみていただけたら、とても嬉しく思います。
さいごに
さいごに、この記事のポイントをまとめておきましょう。
✅ 立派なお仏壇(箱)を、無理に購入する必要はありません。
✅ 最も大切なのは、信仰の中心である「ご本尊」をお迎えすることです。
✅ 手を合わせる対象は、故人ではなく、その奥にいらっしゃる阿弥陀さまです。
✅ 亡き人と一緒に、同じ阿弥陀さまを拝む、という気持ちが大切です。
✅ 「南無阿弥陀仏」と称えることは、阿弥陀さまの「必ず救う」という約束を受け取ることです。
✅ ご本尊は仏像ではなく、掛け軸タイプのものが望ましいです。
お仏壇は、義務感で置くものではなく、私たちの毎日をより豊かに、そして温かくしてくれる「心の拠り所」です。
難しく考えすぎず、まずは感謝の気持ちで手を合わせることから、始めてみてくださいね。
あなたの日常に、穏やかで安らかな時間が流れることを、心から願っております。
さいごまでお読みいただき、本当にありがとうございました。