
【浄土和讃のやさしい解説】第1回「弥陀の名号」
親鸞聖人が詠まれた浄土和讃を1話1首でやさしく解説します。
浄土和讃の冒頭の二首は、「冠頭讃(かんとうさん)」と呼ばれています。
これは、浄土和讃の全体を要約するような和讃と言えるでしょう。
今回は、冠頭讃に該当する第一首を、できるだけやさしく解説してみたいと思います。
それでは、さっそくはじめていきましょう🎵
*この記事は以下のポッドキャストの文字起こしを元に作成しています。
目次
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和讃の原文📖
まずは、実際の和讃を紹介します。
弥陀の名号となえつつ
信心まことににうるひとは
憶念の心(しん)つねにして
仏恩報ずる思いあり
一読して「うーん、難しいな」と感じる方が多いと思います。
はい、和讃は大体こんな感じなので、現代人にはとっつきにくいんですよね...
しかし!
ご安心ください。
ここからは言葉をひとつずつ紐解きながら、意味をていねいに解説していきますね。
言葉の解説📝
弥陀の名号
「みだ」とは阿弥陀如来さまのこと。
「名号」とはそのお名前、つまり「南無阿弥陀仏」のことを指します。
ここでの意味は お念仏 そのもの。
「弥陀の名号をとなえる」とは、「南無阿弥陀仏」と繰り返し口にすることです。
となえつつ
これは「繰り返しとなえる」「続けてとなえる」という意味。
お念仏を一度だけではなく、日々の中で繰り返している姿を表しています。
信心(しんじん)
この言葉はとても大切です。
「信心」というと「信仰心が深い」「浅い」といった程度の差のように思われがちですが、浄土真宗では違います。
信心とは、自分の心から生まれるものではなく、阿弥陀さまからいただくもの。
阿弥陀さまの「すべての人を救いたい」という願いに包まれ、その心を疑いなくいただくことを指します。
まことにうる
「うる」とは「得る」「いただく」という意味です。
つまり「まことにうるひと」とは、阿弥陀さまの心を疑いなくいただいている人のこと。
憶念(おくねん)
「憶」は心に思い起こすこと。
「念」は思い続けること。
合わせて「憶念」とは、阿弥陀さまの願いを思い起こし、常に心に持ち続けることを意味します。
仏恩報ずる思いやり
「仏恩」とは仏さまの深いご恩。
「報ずる」とは恩に報いること、感謝を形にすることです。
つまり、阿弥陀さまのお救いに感謝し、その思いを胸に生きていく姿を表しています。
全体の現代語訳💡
ここまでをまとめると、この和讃は次のように解釈できます。
「南無阿弥陀仏とお念仏をとなえ続け、その救いを疑いなくいただいている人は、いつも阿弥陀さまの願いを心に思い起こし、仏さまの深いご恩に感謝して、その恩に報いたいという思いに満たされている。」
どうでしょうか?
ぐっと身近な言葉にすると、お念仏を続ける心の姿が見えてきますよね。
和讃が示す「念仏者の姿」🙏
この和讃が描いているのは「理想的なお念仏者の姿」だということです。
しかし、どうでしょうか?
この和讃のように、お念仏を常日頃から大事にしながら生きている人って、あなたの周りにおられますか?
現代に生きる私たちにとって、日々お念仏となえ続け、そのたびに「阿弥陀さまに感謝しよう」と思える人は決して多くありません。
むしろ、ほとんどの場合は日々の忙しさに流され、忘れてしまうことが多いでしょう。
しかし、それでいいのです。
大切なのは「一日に一度でも思い出すこと」。
たとえば、仏壇の前で手を合わせるとき。
あるいは、ふとした嬉しい出来事を「ありがたいな」と感じたとき。
そんな小さな瞬間に、お念仏をいただき、感謝の気持ちを思い起こすことができれば、それだけで和讃の心につながっていくのです。
恩返しの形とは?🌸
「仏恩報ずる」とは、単に仏さまに向けた気持ちだけを指すのではありません。
身近な人への感謝や、困っている人を助ける心も、恩返しの形のひとつです。
仏さまの大きな慈悲をいただいたなら、それを誰かに少しずつ還元していく。
そんな生き方そのものが、和讃の示す姿ではないでしょうか。
まとめ✅
さいごに、今回の和讃のポイントを整理しておきましょう。
- 「冠頭讃」は浄土和讃の冒頭にあり、全体の要約的な役割を持つ。
- 内容は「お念仏をとなえ続け、信心を疑いなくいただいている人は、阿弥陀さまの願いを心に抱き、感謝の思いに満たされている」ということ。
- 恩返しとは、仏さまへの感謝にとどまらず、人への思いやりや小さな行動の中にも表れていく。
日々の中で一度でもお念仏を口にし、感謝の気持ちを思い出すこと。
それが、仏さまのご恩に応える第一歩なのだと思います。
どうぞ、あなたの生活の中にも「南無阿弥陀仏」と感謝のひとときを取り入れてみてくださいね。
さいごまでお読みいただき、本当にありがとうございました。