【浄土和讃のやさしい解説】第2回「誓願不思議」

【浄土和讃のやさしい解説】第2回「誓願不思議」

浄土和讃・冠頭讃第二首を解説。阿弥陀さまの誓願を疑う心がどんな結果をもたらすのか。現代社会にも通じる「疑い」のテーマをわかりやすく説きます。

公開日: 2025/9/24

「人間って、つい疑ってしまうよね」


そんな思いをしたことはありませんか?

大切な人の言葉でさえ、「本当かな?」と心のどこかで構えてしまう。


現代社会は情報があふれ、何が真実かわからない時代ですから、ある意味当然かもしれません。

しかし、浄土真宗の教えでは、この「疑いの心」こそが、私たちを本当の救いから遠ざけてしまうのだと説かれます。

今回は、親鸞聖人が詠まれた浄土和讃の冠頭讃・第二首を取り上げ、その意味と現代につながる学びを紐解いていきます。

それでは、はじめていきましょう🎵

*この記事は、以下のポッドキャストの文字起こしを元に作成しています。

目次

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和讃の原文📜

誓願不思議をうたがいて
御名を称する往生は
宮殿のうちに五百歳
むなしく過ぐとぞときたまう

一見すると難解に思えるこの和讃。


まずは、一つひとつ言葉をほどいてみましょう。

「誓願不思議」とは?🙏

最初に出てくる「誓願(せいがん)」とは、阿弥陀さまの願いのことです。

「すべての人を救いたい」


この大いなる誓いを本願(ほんがん)と呼びます。

そして「不思議」とは、人間の理解をはるかに超えているという意味。


つまり「誓願不思議」とは、人知では測り知れない阿弥陀さまの誓いを指しています。

「うたがいて」とは?🤔

ここで出てくるのが「疑い」です。

「本当に阿弥陀さまは救ってくださるのだろうか?」
「こんな私が、本当に極楽に生まれるなんてありえるのかな?」

そうやって、つい疑ってしまう。


これは、誰もが共感できる感覚ではないでしょうか。

しかし和讃は、その疑いがやがて虚しさにつながることを教えています。

「御名を称する往生」とは?🕊

「御名(みな)」とは、阿弥陀さまの御名、つまり南無阿弥陀仏のことです。


「称する」とは、それを称える=口にして唱えること。

ですからここでは、


「疑いながらも念仏を称えて、往生しようとする」


そんな姿が描かれています。

「宮殿のうちに五百歳」とは?🏯

「宮殿(くでん)」とは、本物の極楽浄土ではなく、その仮の姿。

つまり、疑いながらの念仏は、表面的には救われたように見えても、実際は本物の浄土に生まれることはできないのです。

そして「五百歳」とは、非常に長い時間を表しています。


500年という数字自体が重要なのではなく、途方もない年月を虚しく過ごしてしまうという意味なのです。

「むなしく過ぐ」⌛

最後の「むなしく過ぐ」とは、そのまま「むなしく過ごしてしまう」ということ。

つまり和讃はこう伝えています。

「阿弥陀さまの誓願を疑いながら念仏しても、
一見は救われたようであっても、
実際には仮の浄土で長い時を空しく過ごすことになる

というのが、現代語訳になります。

現代社会とのつながり💻

ここまでを読んで、

「でも、疑うことって大事じゃない?」

と思う方もいるかもしれませんね。

たしかに現代社会は、疑いなしでは生きていけません。


SNSにはフェイクニュースがあふれ、AIは本物そっくりの偽情報を作り出す。


詐欺の手口も巧妙になり、「まず疑う」ことが自己防衛の手段になっています。

しかし、この和讃が教えているのは、人間を超えた阿弥陀さまの誓いについてです。
日常生活での「疑い」とは次元が異なるのです。

人間の知恵を超えたものを、素直に受け取れるかどうか。


ここに大きな違いがあるんですよ。

阿弥陀さまの誓いを信じるということ💡

阿弥陀さまは「必ず救う」と誓われました。


私たちの命が尽きるそのときを迎えても、「安心して任せなさい」と語りかけてくださっています。

それを、赤ちゃんがお母さんに身をゆだねるように、ただ素直に信じる


その心こそが、私たちを本当の救いへと導くのです。

まとめ✅

さいごに、今回のポイントを整理しておきましょう。

  • 「誓願不思議」とは、人知を超えた阿弥陀さまの誓い。
  • 疑いながらの念仏は、仮の浄土にとどまり、本当の救いには至らない。
  • 「五百歳」とは、虚しく長い時間を過ごすことのたとえ。
  • 現代社会では疑う心も大切だが、阿弥陀さまの誓いは疑わず素直にいただくことが大事。


大切なのは、阿弥陀さまの「必ず救う」という願いを、疑いなく「ありがとうございます」と受けとめることです。

あなたの人生の中に、ぜひこの信じる心を取り入れてみてくださいね。

さいごまでお読みいただき、本当にありがとうございました。