
【浄土和讃のやさしい解説】第4回「智慧の光明」
親鸞聖人が詠まれた浄土和讃を1話1首でやさしく解説します。阿弥陀さまの智慧の光は限りなく、私たちの心の闇を照らし続けていると説かれます。
なんだか心の中が真っ暗で、先が見えない…。
そんなふうに感じるとき、誰しもありますよね。
でももし、その暗闇のなかに、気づかぬうちに私たちを照らしてくれている光があったとしたら――。
今日は、その光について、浄土真宗の「正信念仏偈」に出てくる和讃を通してご一緒に味わっていきたいと思います。
この記事を読み終えたとき、きっと「真っ暗に思える中にも、温かな光がいつも届いているんだ」と感じていただけるのではないかと思います。
どうぞ安心して読み進めてくださいね。
それでは、はじめていきましょう🌿
*この記事は、以下のポッドキャストの文字起こしを元に作成しています。
目次
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和讃の原文をご紹介📜
まずは今回取り上げる和讃の原文を確認してみましょう。
智慧の光明はかりなし
有量の諸相ことごとく
光暁かぶらぬものはなし
真実明に帰命せよ
きっと「あ、聞いたことがある」という方もいらっしゃるかもしれません。
浄土真宗の中でも大切にされてきた和讃のひとつです。
では、この言葉をひとつずつ見ていきましょう。
「智慧の光明」とは?💡
最初に出てくるのが「智慧の光明」という言葉です。
ここでいう智慧とは、仏さまの智慧のこと。
単なる知識や頭の良さではなく、真理を見抜く力、すべてを慈しむまなざしです。
そしてそれは「光」として表されます。
たとえるなら、暗闇を照らす懐中電灯のようなもの。
迷いや苦しみで先が見えないときも、仏さまの智慧は光となって私たちを導いてくださるのです。
「はかりなし」とは、文字通りはかり知れないということ。
つまり、この光には限りがなく、誰もがその光に包まれているという意味になります。
「有量の諸相」とは?🌏
「有量」とは、漢字のイメージのとおり、限り(量り)があるということ。
次に「諸相」という言葉が出てきます。
「諸相」とは、もろもろの姿や形のこと。
私たち人間だけでなく、草木や山川、動物や虫にいたるまで、この世界のあらゆる存在を指します。
諸行無常という言葉のとおり、私たちのいのちをはじめ、この世のすべての存在は、常に変化し、限りがあります。
その限りある存在ひとつひとつ、仏さまの智慧の光に照らされている
――そう受けとめると、この和讃の意味が少し見えてきますね。
「光暁かぶらぬものはなし」🌅
ここが少し難しい表現ですが、とても大事なところです。
「光暁(こうきょう)」とは、夜明け前のかすかな光のこと。
真っ暗な夜の中、東の空が少しずつ明るくなっていく、その微かな光を表しています。
仏教では「無明(むみょう)」という言葉があります。
それは、仏さまの教えに出会わず、真理を知らないまま闇の中をさまよっている状態を指します。
そんな無明の闇を照らしてくださるのが、この「光暁」。
まだ完全に明るくなったわけではないけれど、確かにそこにある光。
「かぶらぬものはなし」とは、その光を受けないものはない、という意味です。
私たちが気づいていなくても、常に光は降り注ぎ、包んでくださっている。
そんな温かな眼差しを感じますよね。
「真実明に帰命せよ」🙏
さいごに「真実明に帰命せよ」と結ばれています。
「帰命(きみょう)」とは、身をゆだねること。
つまり、阿弥陀さまの智慧の光に安心して身をまかせていきましょう、という呼びかけです。
ポイントは、この「帰命」する対象が"阿弥陀さまだけ"だということ。
和讃には、「〇〇に帰命せよ」というフレーズがたくさん出てきます。
この〇〇に入ることばは、すべて阿弥陀さまの別名(別の呼び方)と理解することができるんです。
今回の場合、「真実明=阿弥陀さま」と読み替えてみると理解しやすいですね。
決して裏切ることのない智慧の光に、ただただ委ねていきましょう――そう和讃は語りかけています。
暗闇を照らす光のイメージ🌌
夜道を歩いていて、まわりが真っ暗だったら、とても不安になりますよね。
でも、たとえ小さな街灯でも、そこに明かりがあるだけで、ほっとするものです。
それと同じように、阿弥陀さまの光は、私たちが気づかないときでも、確かに届いています。
不安や悲しみで心が闇に覆われてしまうときも、その闇を照らしつづけてくださるのです。
私たちが見向きもしなくても、それでも常に「大丈夫だよ」と包んでくださる光。
それが、仏さまの智慧であり、慈悲であり、願いなのだと思います。
まとめ✅
さいごに、今回のポイントを整理しておきましょう。
- 智慧の光明…仏さまの知恵は光として表され、限りなく私たちを照らしている。
- 有量の諸相…この世のすべての有限の命は、その光に包まれている。
- 光暁かぶらぬものはなし…気づかなくても、誰もが必ず仏さまの光を受けている。
- 真実明に帰命せよ…阿弥陀さまの光に、安心して身をゆだねていきましょう。
真っ暗闇のように感じるときでも、後ろから照らしてくれる光が必ずある。
その光に委ねて生きていくことこそが、浄土真宗の信心の味わいなのかもしれません。
どうかこの光を感じながら、少しでも安心して日々を歩んでいただければと思います。
さいごまでお読みいただき、本当にありがとうございました。