【浄土和讃のやさしい解説】第8回「仏光照曜」

【浄土和讃のやさしい解説】第8回「仏光照曜」

阿弥陀さまの光は、どんな闇も打ち破る究極の智慧。今回の和讃「仏光照曜最第一」を通じて、その意味と私たちの歩む道をやさしく解説します。

公開日: 2025/9/30

今回ご紹介するのは、『正信念仏偈』に出てくる和讃の最後のひとつ

その内容は、阿弥陀さまの智慧の光が、どれほど私たちを導いてくださっているのかを讃嘆するものです。

親鸞さまのよろこびが溢れた和讃になっていますよ。

ぜひ、一緒に味わってまいりましょう🎵

*この記事は、以下のポッドキャストの文字起こしを元に作成しています。

目次

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和讃の本文📜

仏光照曜最第一
光炎王仏となつけたり
三塗の黒闇ひらくなり
大応供を帰命せよ

一見すると漢字ばかりで難しく見えますが、ひとつずつ解きほぐしていくと、とても身近に感じられる内容です。

それでは順番に見ていきましょう。

仏光照曜最第一 🌟

最初の「仏光照曜(ぶっこうしょうよう)」という言葉。

耳で聞くだけでは意味が取りにくいですが、文字を見ると「仏の光が照らして輝いている」ということが分かります。

そして「最第一」。

これは「一番すぐれている」「比べるものがないほど最高である」という意味です。

つまりここでは、阿弥陀さまの光は、この世のどんな光よりも最も尊く、最高の輝きである、と讃えているのですね。

光炎王仏となづけたり 🔥

次に「光炎王仏(こうえんおうぶつ)」。
これは「炎のように燃え盛る光の王」という意味です。

「王」という字は、単に支配者というだけでなく、「他に比べて最もすぐれている存在」を表します。

浄土宗では「本願」を「王願」とも呼ぶことがありますが、ここにも同じニュアンスが込められているのです。

つまり阿弥陀さまは、光の王として、あらゆるものを超えて輝いている存在

その光は、どんな暗闇も打ち破っていく力を持っているのです。

三塗の黒闇ひらくなり 🌑➡🌅

続いて「三塗(さんず)の黒闇ひらくなり」。

「三塗」とは、仏教で説かれる六道の中でも、特に苦しみの深い三つの世界を指します。

  • 地獄(じごく):もっとも苦しみの大きい世界
  • 餓鬼(がき):飢えと渇きにさいなまれる世界
  • 畜生(ちくしょう):弱肉強食の苦しみの世界

これら三つを合わせて「三塗(さんず)」と呼ぶのですね。

私たちは無明(むみょう)という暗闇に包まれた存在です。
「無明」とは、真実を知らないこと、そして迷い続ける心のことです。

阿弥陀さまの光は、この暗闇を打ち破り、私たちが進むべき道を照らし出してくださるのです。

大応供を帰命せよ 🙏

最後に「大応供(だいおうぐ)」。

これは「すべての人からもっとも尊敬されるにふさわしい仏さま」という意味です。

つまり、阿弥陀さまのことを指しています。

そして「帰命せよ」。

これは「命をかけておまかせしましょう」という意味になります。

すなわちこの和讃は、阿弥陀さまこそ私たちが心から帰依すべき仏であると、力強く語っているのです。

この和讃から味わえること💡

ここまで見てきたように、この和讃は次のように言い換えることができます。

阿弥陀さまの智慧の光は、すべての光の中でもっとも尊く輝いている。
その光は、炎の王の仏と呼ばれるほど強く明るい。
地獄・餓鬼・畜生という苦しみの世界に落ちていくような闇の中であっても、その光に照らされれば必ず道が開かれていく。
だからこそ、すべての人が尊敬し、信じて生きるべき仏さまに、私たちは安心して身をまかせていこう。

私たちは暗闇を歩く存在 🧭

この和讃を通して思うのは、私たち人間は本当に暗闇を歩いている存在だということです。

赤ちゃんが真っ暗な部屋をハイハイしているようなもの。
どこにぶつかるかも分からず、危なっかしくて仕方がない。

その暗闇の中を、阿弥陀さまの光が優しく、そして力強く照らしてくださっている。
だからこそ、私たちは迷うことなく歩んでいけるのです。

本来であれば、罪深い私たちは「三塗」に落ちて当たり前の存在です。
しかし、阿弥陀さまの光に照らされれば、必ず浄土へと導かれる。

親鸞聖人もまた、この事実を深く喜ばれていたのではないでしょうか。

まとめ ✅

さいごに、この記事のポイントを整理しておきましょう。

  • 仏光照曜最第一:阿弥陀さまの光は、この世で最も尊い輝き。
  • 光炎王仏:炎の王のように強く、他に比べものがない光の仏。
  • 三塗の黒闇ひらく:地獄・餓鬼・畜生という苦しみの世界を打ち破る光。
  • 大応供を帰命せよ:すべての人が帰依すべき仏さまに、安心して身をまかせよう。

阿弥陀さまの智慧の光は、私たちの心の迷いを照らし、どんなに暗い道でも進むべき方向を示してくださいます。

ただ、この光に照らされながら、少しずつ歩んでいけば良いのです。

さいごまでお読みいただき、本当にありがとうございました。