他力本願 , 阿弥陀如来

他力本願の本当の意味をわかりやすく解説!

SNSでよく見る「他力本願」は誤用だった!本来は“すべてを任せる”という仏教の深い教え。この記事では「他力」と「本願」の本当の意味をわかりやすく解説。言葉の奥にある温かい心に触れてみませんか?

公開日: 2025/9/9

SNSなどを見ていると、

「他力本願でいこう!」

なんて言葉を見かけるときがありませんか?

そんなとき、心のどこかで

「それって、なんだか“他人任せ”で、自分で努力するのをやめてしまったのかな…?」

なんて、少しだけネガティブな気持ちがよぎることがあるかもしれませんね。

「他力本願」という言葉には、どこか怠けているような、無責任なような、そんなイメージを持つ方も多いかもしれません。

ですが、もし、その使いかたが本来の意味とはまったく違う、大きな誤解から生まれているとしたら、どうでしょうか。

今日は、この「他力本願」という言葉について、その驚くほど深く、そして温かい本当の意味を、仏教の教えからやさしく解き明かしていきます。

「仏教の言葉って、なんだか難しそう…」

そう感じている方も、ご安心ください。

この記事を読み終えるころには、「他力本願」という言葉を見る目ががらりと変わり、その奥にある慈悲の心に、きっとあなたの心もふっと軽くなるはずです。

それでは、はじめていきましょう🎵

*この記事は、以下のポッドキャストの文字起こしを元に作成しています。

目次

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日常で使われる「他力本願」と、その“違和感”の正体

まず、わたしたちが普段、どんなふうに「他力本願」という言葉を使っているか、少しだけ振り返ってみましょう。

例えば、

「この仕事、大変だから誰かやってくれないかな。まさに他力本願だ!」

「自分で調べるのは面倒だから、詳しい人に聞いて他力本願で解決しよう。」

といった感じでしょうか。

確かに、こうして見てみると、その意味は「自分では努力をしないで、ほかの人の力を頼りにして、目的を達成しようとすること」のように感じられますよね。

X(旧Twitter)などのSNSを見ていても、ほとんどがこの「他人任せ」という意味で使われているように思います。

でも、心のどこかで、こんなふうに感じませんか?

「本当に、この言葉の使いかたで合っているのかな?」

「もしかしたら、もっと違う、深い意味があるのかもしれない…」

そうなんです。

その直感は、とても正しいんですよ。

実は、「他力本願」という言葉は、もともと仏教、とくに浄土真宗(じょうどしんしゅう)という宗派で、非常に大切にされてきた言葉なんです。

そして、その本来の意味は、「他人任せ」とはまったく逆ともいえる、とても尊いものだったんですね。

まずは言葉を分解!💡「他力」と「自力」の大きな違いとは?

「他力本願」の本当の意味を理解するために、まずはこの言葉を2つのパーツに分解してみましょう。

「他力」と「本願」ですね。

ここではまず、「他力」とはいったい何なのか、というお話から進めていきたいと思います。

これを説明する上で、避けては通れないのが「自力(じりき)」という、もうひとつの言葉です。

そもそも、仏教が目指す最終的なゴールとは何でしょうか?

それは、さまざまな悩みや苦しみから解放された「仏さま(ほとけさま)」になること、つまり「悟りを開くこと」だとされています。

そのゴールに至るまでの道のりには、いろいろな考えかたがあるのですが、その分類方法のひとつに、「自力」の道と「他力」の道という2つのアプローチがあるんですね。

「自力」とは、自分の力で険しい山を登る道

まず「自力」ですが、ご想像の通り、これは自分の努力や修行によって、悟りの境地を目指していくという考え方です。

自分の中にある煩悩(ぼんのう)をひとつひとつ消していき、厳しい修行を乗り越えて、仏さまに近づいていこうとする道筋ですね。

いわば、険しい悟りの山を、自分の足だけを頼りに一歩一歩、踏みしめて登っていくようなイメージかもしれません。

とてもストイックで、強い意志が必要とされる道ですね。

「他力」とは、決して“他人”の力ではない

一方で、「他力」と聞くと、

「他の力ってことは、やっぱり他人の力のことでしょう?」

そう思いますよね。

ですが、仏教でいう「他力」とは、決して他人の力や、自分以外の誰かの力を指すのではありません。

では、いったい誰の力なのか。

それは、阿弥陀如来(あみだにょらい)という仏さまの力なんです。

「他力」とは、わたしたちのような人間には到底及ばない、仏さまの偉大な力、そのおはたらきによって救いとっていただく、という考えかたなんですね。

つまり、「他力」というのは、人の力ではなく、あくまでも仏さまの力なんですよ、ということ。

これが、本当に重要なことになってくるんです。

自力が「自分の足で険しい山を登る」イメージだとすれば、他力は「偉大な山のガイドである仏さまの力を信じ、その導きにすべてを委ねて山を登る」ようなイメージに近いかもしれませんね。

では「本願」って、いったい“誰”の願いなのでしょうか?🙏

さて、「他力」が仏さまの力だということは、なんとなくイメージが掴めてきたかもしれませんね。

では次に、もう一方の「本願」について見ていきましょう。

これもまた、「わたしたち自身の願い」のことだと勘違いされやすいのですが、そうではないんですね。

この「本願」とは、先ほど登場した阿弥陀-如来という仏さまが立てられた、誓い・願いのことを指します。

では、阿弥陀如来は、いったいどんな願いを立てられたのでしょうか?

それは、

「すべての人々を必ず救います」

という、壮大で、絶対的な誓いなんです。

わたしたち人間が抱く「お金持ちになりたい」とか「健康でいたい」といった個人的な願いとは、次元が違うんですね。

ですから、「本願」とは、あなたの願いでも、ぼくの願いでもなく、あくまでも阿弥陀さまの願いなんだ、ということになります。

いわば、仏さまからの「どんなことがあっても、わたしがあなたを絶対に見捨てませんよ」という、この上なく力強く、温かい約束のような存在です。

これが本当の意味!「他力本願」とは“お任せする”心のこと

ここまでくれば、もうお分かりかもしれませんね。

  • 他力 = 阿弥陀如来という仏さまの、偉大な救いの力
  • 本願 = 阿弥陀如来の、「すべての人を必ず救う」という誓い・願い

この2つを組み合わせた「他力本願」とは、

「阿弥陀如来の『必ず救う』という誓いを信じて、その救いのお働きに、わたしのすべてをお任せします」

という意味になるんです。

「他人任せ」や「努力をしない」といった、否定的なニュアンスはどこにもないことが、お分かりいただけるかと思います。

…とはいえ、きっとこう感じますよね。

「うーん、でもやっぱり、すべてをお任せするって、なんだか自分で何も考えずに、努力を放棄しているような気がしてしまうんだけど…」

その疑問は、とても自然なものだと思います。

ですが、仏教が説く「他力本願」の心は、そうではないんですよ。

それは、「自分の力ではどうしようもないことがある」という、自分の限界を知ることから始まる、とても深い気づきでもあるのです。

ここでひとつ、こんな場面を想像してみてください。

🌊川に流されそうになる子どもの例え

ある子どもが、流れの速い川に落ちて、溺れそうになっているとします。

子どもは助かろうと、必死でもがき、泳ごうとします。

これが、自分の力でなんとかしようとする「自力」の状態ですね。

ですが、川の流れはあまりに強く、子どもの力はどんどん尽きていき、もう沈みそうになっている。

自分の力だけでは、もうどうすることもできない。

そのときです。

その子どものお母さんが、川に飛び込んで力強く泳ぎ、わが子を抱きかかえて岸まで助け出してくれました。

さて、このとき、子どもは自分の力で助かったのでしょうか?

違いますよね。

間違いなく、お母さんの力によって救われたわけです。

このお母さんの働きこそが、阿弥陀如来の救い、つまり「他力」を象徴しています。

そして、岸に上がって、息も絶え絶えだった子どもがお母さんに向かって、心からの安堵と感謝とともに自然と口にする「お母さん、ありがとう…!」という言葉。

この感謝の言葉こそが、仏教でいう「お念仏(おねんぶつ)」、つまり「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という言葉にあたるんですよ、と喩えられます。

なるほど…。

自分の力で必死にもがくことだけが、生きるということではないのかもしれませんね。

自分の力の限界を知り、自分を救おうとしてくださる大きな存在に気づき、そのお働きに素直に「ありがとう」と身を委ねること。

これこそが、「他力本願」の本当の姿なんです。

✅「他力本願」という言葉を使うときに、心がけたいこと

ここまでお話ししてきたように、「他力本願」という言葉は、本来、非常に尊い仏教の言葉です。

ですから、もしあなたがSNSなどで、誰かに何かをお願いしたいとき、つまり「他人任せ」にしたいことがあったとき、

「他力本願でお願いします!」と書こうかなと思ったら、一度だけ、今日の話を思い出してみていただけると嬉しいです。

できれば他の言葉で言い換えてみてはいかがでしょうか。

例えば、

  • 「丸投げ」
  • 「人頼み」
  • 「おんぶに抱っこ」

といった言葉でも、十分に意味は伝わるはずです。

大切なのは、言葉の背景にある意味を知り、今日から少しだけ意識してみること。

それだけで、あなたの言葉の使いかたは、よりていねいで、思いやりのあるものに変わっていくはずです。

まとめ

さいごに、この記事のポイントをまとめておきましょう。

  • ✅ わたしたちが日常で使う「他人任せ」という意味での「他力本願」は、本来の意味とは違う、大きな誤解から生まれた使いかたです。
  • ✅ 「他力」とは、他人の力ではなく、阿弥陀如来という仏さまの偉大な救いの力のことです。
  • ✅ 「本願」とは、わたしたちの願いではなく、阿弥陀如来が立てられた「すべての人々を必ず救う」という絶対的な誓いのことです。
  • ✅ 本当の「他力本願」とは、自分の力の限界を知った上で、仏さまの救いのお働きにすべてをお任せする、という非常に尊い心のことを意味します。

ときには、自分の力の及ばなさに、無力感を覚える日もあるかもしれませんね。

大切なのは、そんな自分を丸ごと受け入れて、自分を超えた大きな存在の働きに、そっと心を寄せてみることなのかもしれません。

ぜひ、あなたの毎日の中に、「他力本願」という言葉の持つ、本来の温かさを少しだけ感じてみてくださいね。

さいごまでお読みいただき、本当にありがとうございました。