天上天下唯我独尊に学ぶ、いのちの尊さ

天上天下唯我独尊に学ぶ、いのちの尊さ

「天上天下唯我独尊」を「自分だけが偉い」という意味だと思ってませんか?実は、お釈迦様が伝えたかったのは「あなたを含む"すべての命"が尊い」という温かいメッセージなんです。その本当の意味を知ると、自己肯定感が自然と高まりますよ。ブログで優しく解説しています。

公開日: 2025/8/28

「なんで自分だけが、こんな辛い目に遭うんだろう…」

「周りの人は輝いて見えるのに、どうして私は…」

そんなふうに、他人と自分を比べてしまったり、自分の置かれた状況に理不尽さを感じて、心が苦しくなってしまうことはありませんか?

そう感じてしまうのは、決してあなたが弱いからではありません。

むしろ、とても自然な心の働きなんですよ。

今日は、そんなふうに感じてしまうあなたの心を、そっと軽くしてくれる、お釈迦様のとても大切な言葉についてお話しします。

それは、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)」という言葉です。

「え、それって『この世で俺様が一番偉い!』っていう意味じゃないの?」

実は、この言葉には、私たちが思っているような自己中心的な意味は全くないんですよ。

この記事を読み終えるころには、「天上天下唯我独尊」という言葉の、温かくて深い本当の意味が、きっとご理解いただけるはずです。

そして、あなた自身の命も、あなたの周りにいる人々の命も、すべてが奇跡的で、かけがえのない存在なんだと、心から感じられるようになるでしょう。

それでは、はじめていきましょう🎵

*この記事は以下のポッドキャストの文字起こしを元に作成しています。

目次

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勘違いされやすい「天上天下唯我独尊」の本当の意味🧠

「天上天下唯我独尊」と聞いて、どんなイメージが浮かびますか?

きっと、多くの方が「この天上にも、天下にも、我より尊い者はいない!」という、少し傲慢なイメージをお持ちかもしれませんね。

「とはいえ、やっぱり『自分だけが特別』って言っているように聞こえるんだよね…」と感じますよね。

実は、ぼくもこの言葉を聞くと、真っ先に思い出す漫画のワンシーンがあるんです。

それは、大人気バスケットボール漫画の『スラムダンク』。

ぼくが子どもの頃に夢中になって読んだ、今でも大好きな作品です。

作中に、流川楓(るかわかえで)という、ものすごい才能を持ったイケメンのスーパースターが登場します。

彼のプレースタイルは、時にチームメイトを顧みない、まさに「自分中心」に見えることがありました。その彼の自己中心的なプレーを評して、「天上天下唯我独尊男」と表現される場面があったんです。

このシーンの印象が強いこともあって、「天上天下唯我独尊」という言葉には、どこかネガティブで、自分勝手なイメージがつきまとうのかもしれませんね。

では、お釈迦様は本当に「自分だけが偉いんだ」とおっしゃりたかったのでしょうか?

答えは、まったくの「ノー」です。

この言葉の本当の意味を理解するためには、まず、この言葉がいつ、どんな状況で語られたのかを知る必要があります。

お釈迦様、誕生直後に七歩あるく!?

今から約2500年前、お釈迦様はインドのルンビニーという場所で、マーヤー夫人というお母さんの右脇からお生まれになったと伝えられています。

「え、右脇から?どうして?」と驚きますよね。

これは、古代インドの思想で「右は清らかなもの、左は不浄なもの」と考えられていたことから、お釈迦様の清らかさを象徴する伝説として語り継がれているんです。

そして、さらに驚くべきことに、お釈迦様は生まれた直後に七歩あるき、右手で天を、左手で地を指さして、こうおっしゃったと言われています。

「天上天下唯我独尊」

「生まれたばかりの赤ちゃんが歩いて、しかも喋るなんて、いくらなんでもありえない!」…そう思いますよね。

おっしゃる通り、これは歴史的な事実というよりも、お釈迦様がどれほど偉大な存在であったかを後世の人々が伝えるために作られた、象徴的な物語だと考えられています。

しかし、この物語には、仏教のとても大切な教えが凝縮されているんですよ。

「七歩」に隠された深い意味

なぜ、「七歩」だったのでしょうか?

仏教には、「六道輪廻(ろくどうりんね)」という考え方があります。

これは、私たちの魂は、死んだら終わりではなく、六つの世界をグルグルと生まれ変わり続ける、という教えです。

いわば、「命が往き交う6つのステージ」のようなものです。

その六つの世界とは、

  • 地獄界(苦しみが絶えない世界)
  • 餓鬼界(飢えと渇きに苦む世界)
  • 畜生界(本能のままに生き、互いに奪い合う世界)
  • 修羅界(争いや怒りが絶えない世界)
  • 人間界(私たちが今いる、苦しみも楽しみもある世界)
  • 天界(喜びと快楽に満ちた世界)

私たちは、この六つの世界を、行ったり来たり、永遠に生まれ変わりを繰り返していると考えられています。

これが「六道輪廻」です。

お釈迦様が歩まれた「七歩」という数字は、この「六つの世界」を超えた一歩を踏み出したことを意味しています。

つまり、迷いや苦しみの輪廻から抜け出した、絶対的な悟りの存在としてこの世に生まれたんですよ、ということを象徴しているのです。

なるほど…。迷いの世界から一歩抜け出した、特別な存在であることを示すための「七歩」だったんですね。

では、いよいよ本題です。

その特別な存在であるお釈迦様がおっしゃった「唯我独尊」の「我」とは、一体誰を指しているのでしょうか?

あなたも、私も、すべての命が「唯我独尊」🌸

結論から言うと、「天上天下唯我独尊」の「我(が)」とは、お釈迦様ご自身だけを指す言葉ではありません。

この「我」とは、これを読んでいる「私」であり、「あなた」でもあります。

そして、人間だけでなく、動物や植物、この宇宙に存在するすべての命を指しているのです。

つまり、この言葉の本当の意味は、こうなります。

「この広い世界に生まれた『私』という命は、ただ一つしかない。誰とも代わることのできない、かけがえのない尊い存在である」

お釈迦様は、「私だけが尊い」と言ったのではありません。

「あなたも、私も、生きとし生けるものすべてが、オンリーワンの尊い存在なんですよ」

という、壮大な命の肯定宣言をされたのです。

どうでしょう。

ネガティブなイメージとは全く違う、とても温かくて優しいメッセージだと思いませんか?

私たちがここに「いる」という奇跡

「とはいえ、命が尊いなんて、当たり前のことじゃない?」と感じるかもしれませんね。

しかし私たちは、日々の忙しさの中で、その「当たり前」がいかに奇跡的なことなのかを、つい忘れがちです。

ここで、少し想像してみてください。

今、ここにいる「あなた」という一つの命が存在するために、どれだけのご先祖様がいたと思いますか?

ほんの30代前までさかのぼるだけで、その数、なんと約10億人にもなるんです。

この10億人の方々のうち、たった一人でも欠けていたら、、、

たった一つの出会いがなければ、、、

今の「あなた」も「私」も、ここには存在していませんでした。

そう考えると、私たちが今こうして生きていること自体が、天文学的な確率で成り立っている、とんでもない奇跡だと思いませんか?

この事実を深く受け止めたとき、「私」という命が、もっと愛おしく、奇跡に近いものに感じられるはずです。

そして同時に、あなたの周りにいるすべての人も、道端に咲く一輪の花も、同じように奇跡的な確率で、今ここに存在している尊い命なのだと気づかされます。

お釈迦様は、この「当たり前だけど、当たり前ではない命の尊さ」を、ご自身の誕生の瞬間に、身をもって示してくださったんですね。

苦しみは、すべての命をつなぐ「共通言語」🤝

さて、お釈迦様はすべての命が「尊い」ものであると同時に、もう一つ、大切な真理を説かれています。

それは「一切皆苦(いっさいかいく)」という言葉です。

これは、「この世に生きるすべてのものは、みな苦しみを抱えている」という意味です。

いわば、「人生は、思い通りにならないことの連続である」という教えですね。

  • 次から次へと湧きおこる欲望
  • 会いたくない人に会わなければいけない苦しみ
  • 大切な家族や友人を失ってしまう悲しみ

こうした様々な苦しみは、私たちが生きている限り、決して避けて通ることはできません。

そして、この「苦しみ」というものだけは、どんなにお金持ちであろうと、貧しい人であろうと、有名人であろうと、無名の人であろうと、すべての人に平等に訪れます。

誰も、この苦しみから逃れることはできません。

私たちは、何か嫌なことがあると、ついついこう考えてしまいがちです。

「なんで、私だけがこんな目に…」

「どうして、自分だけが損をしているんだろう…」

まるで、この世の不幸をすべて自分一人で背負っているような気持ちになってしまいますよね。

でも、そうではないんです。

今、あなたが味わっている苦しみは、形や大きさは違えど、あなたの隣にいる人も、遠い国に住む誰かも、同じように抱えているものなのです。

「死」という共通の苦しみを抱えて

その中でも、すべての生き物が共通して抱える、最も大きな苦しみがあります。

それは「死」です。

これは本当に、誰一人として逃れることはできません。

私たちは、必ずいつか、この命を終える時がやってきます。

ぼくも、やはり死ぬことは怖いです。

お坊さんとしてお葬式に立ち会わせていただき、ご遺族の方と最後のお別れをし、火葬場でお見送りをするたびに、胸が締め付けられます。

「ああ、自分もいつかこうして、家族に見送られる日が来るんだな」

「今、元気でいてくれる両親とも、いつかこうして別れなければいけないんだな」

そう考えると、恐怖や悲しみ、どうしようもない苦しみが心の中に湧き上がってくるんですよね。

でも、この「死への恐怖」という苦しみは、決してぼくだけのものではありません。

これを読んでいるあなたも、あなたの周りにいる大切な人たちも、みんな同じ恐怖と不安を心のどこかに抱えながら、毎日を懸命に生きているのです。

この事実を、私たちは忘れがちです。

しかし、この「誰もが同じ苦しみを抱えている仲間なんだ」という視点を持つことができたなら。

あなたの周りの人々を見る目が、少し変わってくるのではないでしょうか?

一生懸命だけど、少し不器用な同僚。

いつも笑顔だけど、どこか寂しそうな友人。

口うるさいけれど、本当は自分のことを心配してくれている家族。

みんな、表には出さないけれど、あなたと同じように様々な苦しみや悲しみ、そして「死」への恐怖を抱えながら、必死に今日を生きている仲間なのです。

そう思えたとき、相手のことがもっと大事に、もっと愛おしく感じられませんか?

自分だけが苦しいのではない。みんな、同じなんだ。

そう思うと、ほんの少しだけ、他人に優しくなれる気がしますよね。

そして、その優しさは、巡り巡ってあなた自身の心を温めてくれるはずです。

まとめ:すべての命に感謝して生きるということ🙏

さいごに、この記事のポイントをまとめておきましょう。

  • 「天上天下唯我独尊」の本当の意味は、「私(すべての命)は、かけがえのない尊い存在である」ということ。
  • 私たちが今ここに存在しているのは、10億人以上のご先祖様から繋がれた、奇跡的な命のリレーの結果である。
  • 「一切皆苦」の教えの通り、すべての人は、平等に苦しみや悲しみを抱えながら生きている仲間である。
  • この事実に気づくことで、他者への慈しみや感謝の気持ちが自然と湧き上がってくる。

私たちは、自分の力だけで生きているわけではありません。

毎日の食事も、動物や植物といった、たくさんの命をいただいて生かされています。

その一つ一つの命もまた、「唯我独尊」のかけがえのない存在です。

大切なのは、自分の命が尊いものであるのと同じように、あなたを取り巻くすべての命も、等しく尊いものであると心に留めておくことです。

毎日、四六時中このことを意識するのは難しいかもしれませんね。

でも、大丈夫です。

1日の始まりに、あるいは1日の終わりに、ほんの少しだけ。

「今日も、ありがたい命をいただきながら生かされているんだな」

と、この言葉を思い出してみてください。

それだけで、あなたの見える世界が、昨日よりも少しだけ優しく、温かいものに変わっていくはずです。

ぜひ、あなたの生活の一部に、このお釈迦さまの智慧を取り入れてみてくださいね。

さいごまでお読みいただき、本当にありがとうございました。